才能を伸ばす・・雑感

こんにちは。
松戸駅東口
礒山久理ピアノ教室です。
誰にでもあると言えばあるし、砂浜に埋もれた一粒ほどの稀な力とも言える「才能」。
いずれにせよ努力し続けられる力が即ち同義。
そういう意味では安易に「才能」という言葉は使いたくないです。

街のお教室として続けている私のピアノのレッスンですが、何年かに一人くらの感じで、あーこの子はちょっと特別なもの、才能と言えるものを持っているなと感じさせる子達に出会います。



全ての子達と同じように、でもこの子特有の優れた力を伸ばすにはどうしたら良いのかと考えます。
ベストとはいかずともせめてベターであって欲しいと悩みながら、少し先までの方針を考えつつレッスンを続けます。
その魅力をつぶしてしまわないようにと注意深く。でも恐れずに。

そういったちょっと特別な力がありそうな子達特有の繊細さ、大人っぽさ、吸収力の大きさ、集中力、努力を続ける力、物事の本質を捉える鋭い目などなどはこちらにとっても刺激的です。
その鋭い音感や感受性、表現力をもつ子供達とピアノに向かうのは本当に楽しいです。

でも同時にそういった子達は年齢に無関係とも言えるほどある部分は早い成長で日々過ごしていきますから、学校との相性がいいとはいえず、悩むところです。
平たく言ってしまうと普通の学校にいたら浮くだろうなあ・・と。
先生がみんなに伝わるように話すことの更に何歩も先がもう見えちゃっているのですから。

アメリカなどではGiftedギフテッドと言う捉え方で、数学などに卓越した力を見せる子供達に例えば飛び級などのようなギフテッド教育が進んでいるようです。
ある部分の能力を伸ばす、人格の成長を促す、社会性を身につけるなど、多面的に考えるとギフテッド教育については難しいことが沢山あるとは思いますが、とりあえずなにせまだまだ横並びが当たり前の日本の現実。
一粒の才能を伸ばすよりも子供の貧困問題をどうにかしなくちゃ、いじめをなくさなきゃ・・確かに問題てんこ盛り。
あ・・?じゃあこの一粒をどうやって磨いてあげるかは?
一粒の個性を大切に磨けない社会はみんなにとっても窮屈ではないかしらと思いますが・・・。

私は私、あなたはあなた。
一人一人がOKである、そんな受け止め方、伸ばし方がもっと学校やさまざまな場で広まらないかなと思います。
ざっくり雑感まで。
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